
さて、梅雨とはいえ今年の雨季は、どこか5月の新緑のさわやかさが残っている感じがする、、、。
過日、書類を整理していたら走り書きのメモ的一文が出てきて、処分するには、どうかというほどに、今の心境を表明しているものなので、ここに記録しておきたい
私は、自然を最大限尊重する。そして、私が生み出す作品は、内なる自然の律動との共作であり、不二のものである。
あえて創り出すとは言わない。所詮、不完全な人間が意識下で、作り出すものには限界があり、底の浅いものである。
私は、自然と感応し一体となろうとするベクトルの中に、また一体となった時に生まれ出るものこそが、個人の限界を越えて、万人が共有し、宇宙へと響き渡る表現、作物となるであろうことを信じている。
それは、「創造」などという高飛車な意識から生み出されるものではなく、百姓が自然の力を借りて、無理なく農作物を産み出すようなものであり、無作な繁殖活動に似たものである。
私は日々、己の生の記録を目と手の感覚を総動員して、出産することを日課としている。あえて制作とは言わない。なぜなら、それは生理的欲求でもあるし、本能に近いものだからだ。
表現のメディアは、物自体のこともあるし、時に行為(アクション)自体のこともある。いずれにせよそれらは、すべて同じベクトルの中にある。
<閑話休題>
21世紀になって間もなく、従来の「農」への考察をより深く確かなものとするために、独学ではあるが、農耕の実践を始めた。
最初は、最小限の土地があればできる日本ミツバチの養蜂から始め、その後、少々の畑地を借りて、化学肥料や農薬を一切使わない自然農法による、果樹と野菜を作り始めた。
そして改めて実感したことは、直に大地と触れ合う農業こそ、自然と人間が共生、いや、人間自身が生き延びる唯一方法であることを実感した。
そこで、困難は承知で、あえて言いたい。「人間よ!大地と共に生きよ!シンプルに生きよ!」と。
複雑に組織化された現代社会にあって、個人が大地と断絶した生活を送ることは、物質的にも精神的に危機的状況になることは必然であろう。
シンプルな自給自足的生活こそが、全体的に生きる唯一の道であり、人類救済の道である。
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