Sculptor Mr.Laxman & Harnamadi Foundation Chairman Mr.Harka
ハルナマリ芸術財団について 2016/10/21
田植プロジェクトは、セツ・スズキによるアートと農を結び付けようとの現代的なアクションである。
かつて、人類は現代におけるアートというジャンルと農業などの生業、そこで生み出された生活智を別のもと考えたりはしなかった。人類の美的センスというものを歴史的に見ても、過去にそれぞれの民族が残した狩猟道具や生活用具などをはじめとしてその遺産を一瞥すれば、明白なことである。そのような美的な知の集積を私は、あえて文化と呼びたい。しかし、その未分化なものが、富の蓄積や文明の発展と共に専業化が進み、最も重要なスピリットが抜け落ちてしまているというのが私の現代日本における文化観であり、この原初的ともいえる、人間精神と生活智を再発見し取り戻したいというのが、セツなる願いなのである。
そして、何度も繰り返し言うのだが、その構想とアクションは、20年ぶりに戻った故郷の水田の再発見という自己のアイディンテティーの把握から6年の歳月を経て1997年の春、地元からスタート。その後国内の各地域でも実現され、更に稲作文明を基盤とするアジアの各地で実現してきたわけである。
さて、田植プロジェクトは、サイトとなる現地の人々がアーチィストと協働で水田に最終作品をつくり上げるというものだが、毎回その地でなければ発見できない気づきがある。今回のネパールに関しても、大変興味深い現地民のムーブメントがあることに気が付いた。
今回のプロジェクト・サイトとなるヘトウラ市ハルナマリ地区というところは、首都カトマンズから南方へ4WDの車に揺られて6,7時間かかるインド寄りの地方で、農業が盛んなところである。ある意味で大変辺鄙なところであるが、このような辺鄙な地方においても、青年とは言えないかもしれないがアートを村のシンボルにしようと粉骨砕身している40代を中心とする意気盛んな壮年集団がいる。彼らは、ハルナマリ芸術財団という組織を作り、村の共有財産である山林(グンバ・ダラ)を丸ごと美術空間にしようと行動を起こし、数年前にそれを実現した。そして毎年、乾季の初めである9月-12月にかけて、アート・シンポジウムを開催している。
その主体者の一人である、ネパール人彫刻家のラックスマン・ブジェル氏いわく、このようなムーブメントは、近年ネパールの他の地でも盛んであるとのこと。氏もそのようなアート・シンポジウムに毎年招待されて、スケジュールがかなりタイトであるという。
ラックスマン氏は、現在カトマンズを拠点に作家活動を展開しているわけだが、ハルナマリ芸術財団創設の発起人の一人でもある。彼は、故郷の同世代の友人たちと村の活性化のためと都市と農村を緊密に結び付けようとの志を抱きこの財団を立ちあげた。地方を拠点に文化運動を盛り上げ、アーチィストの存在意義を明確に打ち立てようとしているわけである。内容的には、まだ稚拙な面も感じられるが、このような志や希望を共有できるネパールという新生国家に明るい兆しを感じるのは私だけではないと思う。経済的に最貧国の一つと言われるネパールでこのような文化運動を意識ある住民が主体的に実践しているということに正直驚くと共に感動を禁じ得ない。
このような盛り上がりは、かつての日本(60年代)にも存在したことというのはたやすい。また、そのように冷めた視線でとらえることに何の意味があろう。重要なことは、もう一度謙虚になって原点に帰ることなのだ。このような志と田植プロジェクトのめざすものは同じ地平線上にある。どのように未熟であろうと主体性を持って取り組む。回を重ね、絶えざる、自己省察と展望実現のアクションを繰り返しながら真理追及の道を模索し、より上質の文化形成に結果として寄与することこそがそれぞれに問われているのである。大げさな話になるかもしれないが、このような自己省察と展望実現に向けての絶えざるアクションがあるか否かということが、我々人類の存亡にもゆくゆく係わってくるということを肝に銘じたいものである。