友来る!

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幼なじみの中山君が夕方、北野さんのアイガモと明年のプロジェクトサイトが見たいと川越からやって来た。
僕の力強い見方だ。

早速、現地を案内するとアイガモが1羽、電柵の外に逃げ出してウロウロしている。互いに「これは大変!」ともたつく足で追い詰め、やっとのことでゲット。

そんなこんなしていると、他にも3羽、脱走組を発見!
「これも大変!」と飼い主の北野さんに電話。

我々も少しづつアイガモへの対応が飲み込めてきたのか、今度はスムーズに3羽をゲット。無事、田んぼの中へ。

そのうち、北野さんがやって来た。
「こうやって毎日少しずつ逃走して、野犬やイタチに襲われ、  目減りしていくんですよね。」


目の前で、この現実を見て、あらためてこの農法の厳しさを実感した。

でも負けないでほしい!
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posted by 雪山童子 at 02:47Comment(0)日記

田植プロジェクト2016イン・八千代と合鴨農法

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連日の雨で気分もすっかり湿っぽくなりがちだったが、昨日から梅雨の晴れ間となり、やっと一息というところか。しかし、晴れたら晴れたで暑くなりすぎて熱中症の心配をするという、なんとも人間とは、わがままで自分勝手な生き物なのであろうか。自戒!自戒。

それでも、本日の晴れ間は有り難かった。なぜなら午後2時から茨城合鴨水稲会の方たち15名が私たちのスタジオを訪問する予定になっていたからだ。午前中、プロジェクト協力者の北野さんの水田とアイガモの状況を視察した後、私たちのスタジオ見学というスケジュールだ。
ここで展示作品鑑賞の後、田植プロジェクトのプレゼンをするというわけで、コンデションが良い方がベストに決まっている。

それにしても驚いたのは、一行は、暑さのためか予定よりも30分以上早く、到着してしまい、私たちの方は、まだ準備中という有様だった。今思うと、種々至らない点があったのではないかと思う。それでも何とか間に合わせて無事プレゼンを終え、質疑を交えながら参加者一人一人の自己紹介と意見に耳を傾けた。

参加者の話の内容から総括するに、やはりアイガモ農法は、害獣対策などで非常に手がかかるというものであった。これで労働に見合った対価を得ていくのは、かなり難しいということである。しかし、その様な現実に日々向き合いつつも、彼らは、この農法を手放さない。日々技術的な改善に努力し続ける姿に、どこか私たちアーチストの生き様と重なる面を感じたのは不思議であった。

アーチストと農業家のコラボレーション。今後が非常に楽しみである。


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posted by 雪山童子 at 23:27Comment(0)日記

アイガモ農法とは?





明年のプロジェクトサイトは、合鴨農法で米作りをしている水田なわけだが、これがなかなか手のかかる農法で大変だ。しかし、環境に負荷をかけず、安全なコメと食肉を提供できるということ、そして何より今後人類が生き延びるための持続可能な循環農法であるということがメリットだ。

いつも言われることではあるが、農業にかかわらず経済効率のみの産業は、いずれ行き詰まる。なぜなら、それはいつも人間性というものを軽視するからだ。モダニズムが否定し、軽視してきた目に見えない精神的な世界の復権こそが重要だ。アジアの農業には、本来的にそのような自然観、宇宙感があり、人間はその中で、英知を駆使しながら恵みを享受してきた。自然は、驕り昂ぶる文明には、自然災害という形で教訓を与え、宇宙的力というものの前に謙虚や感謝という心を学ばせた。

合鴨農法も心ある人々によって、このような反省や謙虚さ、そして自然への感謝から生まれた農法だと思う。このような人々とコラボレーションできるということに、今回最大の喜びを感じている。

ここで、少し長文となるが、最初の合鴨農法実践者といわれている荒田晴耕氏のネット上(2006.2八王子千人塾、森松幹治 http://www.oryza101.com/pdf/kome2.pdf)に公開されている文章があるので掲載させて頂きたいと思う。こころに沁みた一文である。


アイガモ農法への荒田清耕さんの思い


 


荒田清耕さんは農家の跡取りとして生まれたが、お父上をなくされてから本格的に農業に取り組まれたそうだ。荒田清耕さんの「自然農法への思い」は、「カルガモの被害はカルガモの悲慨」「大自然と自由平など」「わが家の宝庫」の4篇の農業随筆にまとめられている。そのうち「なぜアイガモ農法なのか」の原文をそのまま紹介する。


T様 (先生と、自宅のアイガモ農法を調べに来たある小学生徒へ)


大変すばらしい質問をありがとうございました。


質問に答える前に、調べる方法として電話に加えて、ぜひ現地を見学されることをおすすめします。といいますのは、昔から「百聞は一見にしかず」というからです。


農薬を使わないで、なぜアイガモ除草にこだわるのか。


自然をもう一度、復元したかったから。私の少年時代の風景は1970 年に徹底的に壊されてしまいました。それまでは砺波地方は本当に絵にかいたように美しい村だったのです。田圃の畦はぐねぐね曲がり、その間を小川がさらさら流れていました。春になればツクシもタンポポも咲いていました。ドジョウ・タニシ・フナ・コイ・ナマズ・シジミ・カラスガイ・ヤツメウナギなどがわんさかいました。


そんな小川が各家庭に引いてありました。1年に、2~3度大雨のとき意外には濁りませんでした。いつも澄み切ってきれいな水でした。みんな、それを飲んでいました。泥の川は、浄化作用があるのです。上流で赤ちゃんのおしめを洗っていても、自宅に来るまで浄化されるので、だれも病気にはなりませんでした。私も高校時代まで川の水をのんだり、それで料理をしていました。茶碗や鍋やお釜(小学生の私たち子供はカマドでご飯を炊くのが毎日の仕事でした。)は使い終わったら川に沈めるのです。そうすると、一気に、何百匹のフナがお釜に入って、30分もすれ
ばきれいになりました。


夏には、セミがやかましく、近くの山田川で他の子供達と毎日、魚の仲で泳ぎました。夜には蛍が飛び交い、蛍かごはいつも一杯でした。秋にはイナゴや赤トンボが群れて、そんな私の友達たちが、その年以来まったくいなくなってしまったのです。心にぽっかり穴があいたようでした。


もう一度あのなつかしい風景をとりもどしたいと、次の年から川は汚さないように(合成洗剤を使わない、山田川や村の用水のコンクリート化反対を建設省に申し入れしてし、自宅の田圃に小川を掘りました。)


原発反対は安全運転しても危険な放射能を煙突から出しているので電気はなるべくつかわないように(電子レンジ・クーラーを使わない、原発反対、風力発電・太陽光発電の推進、テレビは1~2時間にかぎる。)


ごみは捨てないように(紙はすべて資源に、ビニールはなるべく使わない、自販機は使わない・買物袋はもらわない・残滓はすべて堆肥、1996年にダイオキシンについて厚生省・福野町に申し入れをした。そして、田圃には、レンゲ草を植え、農薬をまかないように機械や手で草むしりし、その後アイガモをいれて、とやってきました。ですから、私は「おいしい米」を作るためにやってきたのではありません。おいしいというのは、その人の舌にとって都合がよいだけのことであって、それが本当に良いこととは限らないのです。何か混ぜ物をして嘘をついてもおいしく
できるのです。他の人に迷惑なこともあるのです。


実際、沢山の無駄な電気や石油やプラスチックや薬を使って作ったおいしい健康的な米は、結局他の多くの人々や子供達に大迷惑ではないでしょうか。
そうではなく、私は、みんなにとって良い米、つまり「正しい米」を作るようにしてきました。いつまでやれるかもしれないが。(私の米は、「おいしい以上に甘い」と言われています。)


生産性が悪くてもうからないのに、なぜこだわって続けているのか。


収入よりも大事なもの、本当のやすらぎがあると思えるからです。


正月に親類の人から、お小遣いをもらったとき、どうしますか?


お母さんに預けるとします。そうすれば、確かにあなたの財布からはお金がなくなって収入が減ったように見えます。だけど、お母さんは貯金をしてくれますから、全体として帰って増えるわけです。同じように、私の農業収入は低くなるかもしれないけれど、私の家の自然・地球のめぐみの大切さ・働き(景観・機能)は強まって増えているのです。


私の家には、お菓子の木が23本、蛍がいる小川・ドジョウの棲む田んぼ・木の上の家・おもちゃ(2歳の子供も、農具・工具・木の切れ端で遊んでいます。)に、なによりも農薬をまいていない健康な土があります。それは、私だけでなく、多くの人の役にたっているのです。農薬、とくに除草剤はダイオキシンを含んでいるのです。ダイオキシンをまいて、収入がふえて、そのお金でお医者さんにかかるのは、知恵ある方向とは思えないのです。


農業には、もうけの側面(業)といたわりの側面(農)があります。もうけのための農業では、強いものだけが勝ち他の人は農業もやめてひどい目にあうしかないのです。また、世の中には、損をして得をするものが一杯あります。本当のものを手にしたいときは、一時的に損をするように思えることがあります。収入よりも大事なものは、自由、平等など、健康、命、友達などにこそ本当のやすらぎがあるのではないでしょうか。


田んぼをすることは楽しいですか。


楽しいです。つらいです。うれしいです。悲しいです。


私は、会社にもいっています。毎日、同じ考えで同じことをします。違ったことをしたら、良い製品にはなりません。機械のためによくありません。会社からよく思われません。


農業ほど、多くのことをかんがえさせてくれる職業はありません。色々に変化する大自然を相手の仕事だから、あらゆることがアイデアとして浮かぶからです。

「百姓」という言い方があります。ある意味では、なんでもやる人々・なんでもできる人を解釈できます。今の言い方では「万能の人」ということになるかもしれません。1日として同じことを経験することはありません。その時々に、さまざまなことを見たり、考えたり、実行したりします。


農業は、次の多くの仕事をします。


トラクター・田植え機・コンバイン・ポンプなどの運転・修理。


くわ・ツルハシ・スコップを使ってのあらゆる作業。


写真撮影・整理。日誌・会計簿をつけること。


農業の政治で「減反」に対して、役所や色んな人と連絡したり会合をすること。


私は、工業の方面でも技術開発してきました。多くのことを考えています。どんな社会が住みよいか。いつも考えています。そして何よりも、農作業の間も、人間はなぜ生まれたのか・生きるのか・生きなければならないのか。これを忘れたことはありません。(農業は食べる人になりかわって、命を育て、殺します。)農業は、人生を考えさせてくれます。


私は、農民の子供に生まれ、田んぼができて本当に良かったと思っております。__


posted by 雪山童子 at 14:00Comment(0)日記