最近、アグリ・ビジネスとかアグリ・ファンドとか、アグリ○○という言葉が、メヂィアを席巻している感があり、少々うんざりしている。もちろん、いまだ低迷し混乱する農業、農政を盛り上げたいとのメヂィア関係者の思惑もあるのであろうが、肝心の何かが欠落しているのではあるまいか?つまりアグリagriの後に続くカルチャーcultureである。
言うまでもなく、ラテン語の語源が示すようにagriとは[土地、耕地]を意味し、cultureは[耕作]を意味する。つまり、農業agriculutreとは農によって土地を耕し、食を得て生きることであり、文化cultureとはartを含め様々な創造行為によって人間の心田、精神を耕し、心の食を得る作業、ムーブメントである。それが、どうも軽視されている感がある。これは、経済と文化という関係の複雑でアンビバレンツな問題もはらんでいるが、どちらが大切と、他を切り捨てる問題ではない。どちらも大切であり、共存共栄の関係にある。120年前いみじくも新渡戸稲造が、言ったではないか、「農と工は、けだし双生児なるべし。ともに栄え、ともに衰微す。」(農業本論、1898)と。現代では、「農と工と商」と置き換えることが必要だろうが、どれを欠いても、人類の繁栄存続はありえない。この絶妙のハーモニーをつくりだすものこそが、カルチャーcultureなのだ。
その意味で、私が一般の人々を巻き込み実践する田植プロジェクトを企画する意義は、決して小さくないと思う。単なる観念ではなく、cultureの根源である水田で具体的に我々人間の食と心の食、精神の価値について共に考え、再認識しようとの強い呼びかけでありムーブメントだからである。
今、750年前の「心こそ大切」との先達の言葉を噛みしめながら、できることなら全ての人が自ら心の田を丁寧に耕しながら、本当の田畑をも耕し、未来へとつないでいく。そこに本当の精神の復興があり、大地再生のカギがあると思う。
