
さまざまな現世への無念や怨念。
人間の世界に瀰漫する負のエネルギー。
このエネルギーは、フクシマの放射能問題と同様やっかいである。
怨念は、心の放射能である。現世の人々の心の中に少しずつ蓄積さ
れ、やがて臨界点に達すると大きな核爆発を起こし、人間の心身、社会
に甚大な被害をもたらす。
これをどう処理しするか?ここに祭りごとの存在理由がある。
祭りごとには二つの側面がある。言うまでもなく一つは、政治。そして
もう一つは、宗教儀礼や祭事である。
能は、もともとこの宗教儀礼・祭事の中からうまれた芸能である。
我われの現実社会に起こる日々の不条理な悲劇には、残されたものに大
きなストレスとトラウマを残す。大きな悔恨、自責の念は、真綿で包む
ようにようにじんわりと深く人の心を締め付け、弱らせ、容易には解け
ない。
それは、恐怖、嘆き、怒り、絶望などという混乱のムーヴメントを引き
起こし、やがて究極としての祈りへと昇華されねばならない。つまり、
宗教へと至るのである。このような過程を経て初めて人間は、現実を受
け入れることができ、平安へとたどり着くことができる。もし、このよ
うな過程を経ることができず混乱を収集できなければ、破滅があるのみ
である。
能は、演劇や舞いを通してその自他の無念、怨念の根源に迫り、それ
を観者が追体験し、共感し、祈ることで、自身のストレスからの解放
というカタルシス効果を期す芸能でもある。
このように芸術、芸能には、人間世界に不可欠なスピリチャル・メ
ディスンとしての役割がある。つまり心の放射能からの防御・除染に
ますますその真価が発揮されねばならないと思うのである。