非常の美

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人間をストレスの極致に追い込んだ時に発する非常の表現・ヴィジョン。

それは、通常では感受出来ないものであり、ある種の脅威の表現となって表出する。
(これは、例を挙げるまでもなく、名だたる芸術家の歴史が証明しているだろう。)

人間は、平穏な日常に退屈しやすい。退屈とは己の頭脳の停滞であり、刺激しない状態、更に非創造的時間を意味する。それは人生を豊かなものにしたいという人間の本性にそぐわないことであり、生きながらの死に等しいものである。

創造者とは、己をその創造の秘密の場に勇気をもって投げだすことができ、かつそこに留まることのできる者のことだ。

それは、非凡で稀有な魂である。それは、言うはやすく、行うは難し。生ある限り、果てしなき挑戦と応戦による忍耐の戦いなのだ。


posted by 雪山童子 at 11:10Comment(0)日記

TAUE PROJECT2013 応援のメッセージ

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本日より師走。2012年最後の走りの月となる。精一杯力の限り走りたいものだ。どのように走り限界に挑むのか?もちろん、彫刻を作ることにおいて、、、。全ては、明年予定のインドネシア・バリ島での田植プロジェクトを実現成功させるためである。現実の扉は、いつも重く硬い。この扉を稀有の気迫と執念を持ってこじ開ける。これが田植プロジェクトの醍醐味である。執念とは、日々の地道な努力の総称だ。


さて過日、バングラ、インドでのプロジェクトの際、カタログに一文を寄稿して下さった美術批評家で川崎市岡本太郎美術館名誉館長の村田慶之輔氏から、応援のメッセージを頂きましたので紹介します。


 セツ・スズキは、「彫刻とは何か」を長い間、問い続けてきた作家である。今から約20年前の夏、捲土重来を期して都会から故郷に戻り、そこに広がる水田の若稲が風に揺れるさまを見て、改めて「己の原風景を見た」と言う。その深い思いは、7年の歳月を要して、田植プロジェクトに結実した。                             


今でこそ里山を舞台にしたアートイベントは盛んであるが、このようなことを真剣に考え、実行に移した作家は、その当時ほとんどいないと思う。なぜなら、農民にとって水田という場は先祖伝来の、ある意味で神聖な場であったからである。そのような状況で、理解し難いことを他者に許容することには大きな抵抗があるのは当然で、地権者などの理解を得るには大きな困難が伴う。しかし、スズキは、あの水田風景の感動を支えに、プロジェクト実現のため、困難な課題に自力で挑み続けた。


 当初は、比較的抵抗の少ない一族の水田から開始したものの、予想できたこととはいえ、因習が深く保守的な土地柄でもあるから、やはり彼の行動は無理解と嘲笑の的になったという。しかし、持ち前の行動力とバイタリティーで、なんとか実現をみていくにつれ、大きく一般のメディアにも取り上げられるなどの反響があり、回を重ねるごとに理解の輪は広がってきたのである。そして現在まで、国内各地で5回、海外はバングラデシュ、インドの二ヶ国で2回、計7回の田植プロジェクトを実現してきたが、8度目となる今回は、前回のインドとも関係浅からぬバリ島でとの話があって、今夏現地に赴き、関係者と会い、受入れを確かなものとして来た。


スズキは現在、稲に見立てた1200点の彫刻作品「RAKAN」を制作しつつあるという。これを今年、世界遺産として認定されたバリ島の棚田で現地の人々と一緒に田植(設置)し、人間のこと、地球のこと、更に宇宙のことまでも共々に考えるよすがにしたいという。これは、スズキが、当初から問い続けてきた「彫刻とは何か」を、アジアの原風景の中に見出そうとする強い願いの実践である。その真摯な希求に、心から応援したい。


 2013.11.3

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