田植プロジェクト2013  イン・バリ 始動!

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やっと書く気になりました。ちょっと勢いが出てきたという証左なのです。

1987年以来の小生の3P(Power,Passion,Patience)モットーが、ムクムクとしてきました。この熱き魂がなければ、もはや生きる屍であります。小生にとって彫刻とは何か?つまるところ、この3Pにしかずです。ここに一切が収まるのです。どんな美辞麗句もいりません。熱き思いなのです。人生は、本当に一瞬という言葉が、如何に真理であるかを思い知らされている今日ですが、虚無に陥ることなく、キラメキながら、走り抜けたいものです。

さて、今夏、インドネシアのバリ島に行ってきました。バリ州・ギャニャール県・ウブド郡・ウブド村というところです。

バリ島の名を知らない人は、ほとんどいないと思いますが、バリがどんなところかを知る人はそんなに多くないと思います。よく観光ツアーの触れ込みにステレオタイプな「神々と芸能の島」とか「芸能と芸術の島」、果ては「最後の楽園」とか、かくいう小生も、そのようなイメージしかありませんでした。しかし、今回の旅でバリの本当の姿を見てきたという思いがあります。バリは、「棚田の島」です。それも、とてつもなく壮大な棚田です。想像をはるかに超えていました。これは、うれしい誤算でした。

ところで、前回のプロジェクトは、インドだったわけですが、バリは、このインドと文化面で長く深いつながりがありますね。バリは、モスレムを国教とするインドネシアの中では、唯一ヒンドゥー教のエリアです。それが、水田と宗教でつながっているというのは、小生にとって意味のあることなのです。

2004年、 田植プロジェクトの写真を見た、近所に住む女性声楽家から、バリの田んぼでやったらどうですか?との話がありました。彼女のご主人は、インドネシア人でした。それでバリ島には詳しかったのです。翌年の年賀にもまた、「バリ島で、やりませんか、、、。」とのメッセージ。そして、ショッキングなことですが、そのメッセージを残してその年の初夏に突然亡くなられました。自死でした。その後も、このことは暗い記憶として頭の奥にこびりついていましたが、ベンガルでのプロジェクトがありましたので、そちらに全力投球となったわけです。
その後、昨年秋、家内の友人の紹介で知り合った大妻女子大学のK教授からバリ島でやりませんかとのかなり具体的な話がありました。

「また、バリ島かー。」

これは、もはや小生だけの意思ではないのでは、と考えるようになってきました。バリでプロジェクトをやることが、小生の人生に関わってくださった様々な人々に小生自身の力で応えていくことなのではないか?
今は、そう思っています。しかし、このプロジェクトを実現するには、かなりの資金が必要です。実は、バリから帰国して今日まで、この資金獲得のために、慣れない助成の書類づくりに明け暮れていたのです。現代の彫刻家は、作品作りからプロジェクト企画、そしてマネージメントまですべて一人でこなさなければなりません。それが、小生の21世紀を生き延びる芸術家像です。

※田植プロジェクトに興味のある方は、セツ・スズキのオフィシャルサイトからメール下さい。詳細をお知らせすることができると思います。


posted by 雪山童子 at 00:00Comment(0)日記