解脱とは世界とのコミュニケーション

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「人間は自分自身が何であるかを悟れば、また自分自身を真に表せば、解脱を得るのであるが、その実現が妨げられるところに悲しみが生じ、罪が生じてしまうのである」

これは、過日記したタゴールの言葉の引用だったわけだが、計らずもその後、私の実生活で実証されたわけだが、現実というものはなんとも苦く後味が悪いものだ。
環境というか、他者というか、あらゆる対象世界とのコミュニケーションの不能不在が、自身を疎外し、不安定にする。人間は、どのような方法でも良いから、いつもどこかと繋がっていなければ安定しない。
したがって、解脱とは実存と世界が真に内的に繋がることを意味するのであろう。

このところ、私の一日のリズムは、午前は制作、午後は、スタジオの修復整備に費やし、時々息抜きも兼ねて農作業や蜜蜂の世話をしている。これは、私のささやかゃな自然との対話でもある。また基本的に私が目指しているライフスタイルは、自給自足である。ここに来るべき時代の人間の理想があると思う。


posted by 雪山童子 at 22:35Comment(0)日記

セツの-つぶやき④そして叫び

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本日のつぶやき、時に叫び。しかし、自分の感情の脆さを痛感した昨日であった。具体的なことは、控えるが、たまたま、知り合いの婦人宅にある行事の連絡に伺ったところ、、見もほろほろ、に追い返されてしまう。どうしてあのょうな態度を執られたのか理由も分からず、深く傷ついた。つまり己の人間としての尊厳を深く傷つけられたということなのだ。前回、タゴールのことばに感動し、その思想に深く共感して、他者への慈愛をと思っていたわけだが、その思いも、この現実の事件に粉々に砕け散ってしまった。なんと、浅果かな意思か。修行が足りないということか?ああ、卑屈になってはいけない。もっと強く。人間の尊厳を守るということはどういうことかもう一度いや何度でも考えなければならない。感情は、伝染する。つまり、私の今の激しい怒りは、彼女の怒りが伝染したとも言えるのだ。


 理性と感情、アポロンとディオニソス、科学と芸術、やはり、アートは、感情から噴出するものであり、創出されるものだ。感情の得体の知れないエネルギーを何とか理性の糸で繋ぎ止めるのだ。こういうときの表現は、強く厳しいのだ。弱弱しい糸で結べば、やがて炸裂し全てを破壊し尽くすのだ。恐るべし、感情。


ああ怒りの感情は、強く脆い。究極の感情たる慈愛は、強く、強靭である。 願わくは、わが感情も至高のベクトルへ。

posted by 雪山童子 at 23:27Comment(0)日記

ラビンドゥラナート・タゴールの言葉

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TAUE PROJECT 2010-11でベンガルと深いつながりが自覚できたわけだが、そのなかで、様々な事象との出会いがあり、深く心の中にその存在をきざまれたものにタゴールの存在がある。彼の言葉には、深い真実の響きがあり、その言葉に触れることは、私が、今まで言葉にできなかったことを呼びさまし具体的な何ものかとして開示してくれる。この言葉に触れることは、一つの至福であり、希望である。

 釈尊が苦悩に満ちた心で、「人間というものは何故に欲に縛られ、道からはずれ、滅びていくのであろうか」とか、「人間が悲しみや老いや死を免れえないのはなにゆえ~」~禅定によって捜し求められたとき,次のような答えを得られた。即ち、「人間は自分自身が何であるかを悟れば、また自分自身を真に表せば、解脱を得るのであるが、その実現が妨げられるところに悲しみが生じ、罪が生じてしまうのである」と。
 そのために釈尊は最初に戒律をもうけ、人々に正しい行いをするよう命じた。~ かくしてその覆いが消え去るとともに人間の自我はその純粋な真の姿をとり戻すこととなる。
 しからば、その真の姿とは何か? それは空虚でもなく無為でもない。それは親愛であり、慈悲であり、すべてのものに対する愛情である。釈尊は単に欲望を捨てるように言われたのではなく、愛情を無限に拡大するようにと言われたのである。なぜなら、この愛情の拡大によって、人間の自我は真姿を表すからである。それはあたかも、太陽が光を放つことによって自己の真姿を表すようなものである。

(タゴール著作集第7巻P470仏陀)

posted by 雪山童子 at 20:59Comment(0)日記